私たちのごく身近にある「魚」。スーパーや市場で簡単に手にすることのできるこの食材の「流通」は、多くの人にとっては知らない世界ですが、実は多くの課題が存在しています。
この課題解決に取り組むのが、ITを駆使して水産業界にプラットフォームを築く株式会社フーディソンです。
同社は、IT化の遅れる水産業界においては初となる、鮮魚小売専門店「sakana bacca」、飲食店専門卸売サービス「魚ポチ」を開発。また、丸魚卸売専門店の「おかしらや」、鮮魚加工技術に特化した転職支援サービス「さかな人材バンク」も手がけ、閉ざされていた水産業界に風穴を開けました。
そんな水産業界の課題解決に使命を見出し、挑戦し続けるフーディソンの代表取締役社長・山本徹氏にインタビューを行いました。
1.「10年経ってもまだ若造」と言われる世界での挑戦
―現在、「魚ポチ」の契約店舗数は7500店舗にもなっていますが、起業からの経緯を教えていただけますか?
はじめた時は、魚の相場すら全然わかってなかったんです。「鯛が欲しいです。今相場いくらなの?」って聞かれても「わかりません」って言って怒られたりするっていうところから始めました。(笑)
魚の勉強もまだ全然足りていない状態で。「10年経ってもまだ若造」って言われるような世界なんですよね。
でも、準備してから始めるって言っても、いつまで経っても始まらないなと思って。だから、まずは「僕らは素人です」ってことをオープンにするようにしました。
はじめは「魚ポチ」というサイトすらなくて、完全に人がFAXと電話を使いながら飲食店さんとやりとりをしていましたね。
ただ、「水産業界でこんな志があるんです!」っていうことはしっかり伝えるようにして。「僕たちは一生懸命頑張るので育ててください」っていうスタンスで飲食店さんに会いに行ったんですよ。
―始めに対面された飲食店さんの反応はどうでしたか?
すごく戸惑っていましたね(笑)。ただ、「目指している姿にはすごく共感する、だから応援する。」って言ってくれました。
問題意識としては、皆さん同じことを持っていたんだと思います。でも、それをやるプレイヤーがいなかったんですよね。
魚って色んな人が関わって消費者まで流れてくるじゃないですか。だから「一人じゃ何も変えられない」って思っちゃうんです。一人で頑張ろうとしても、「一人では業界は変えられないから」って、みんな言うんですよ。
―「ガイアの夜明け」で、漁港のお母さんが「魚が売れるようにしてほしい」と言っていたのが印象に残っています。
生産側の方は、「もっとこういうもの売っていきたい」という気持ちはあるんですけれども、自分たちでその小売店を持てるかというと、持てないんですよね。でも、スーパーさんだと、「決まったものを決まった量だけ欲しいです」となってしまう。
そこで取引される魚は、昔からとうに流通しているもので。そこに引っかかっていない魚を流通させようとしても、大した量にならないんですよ。
例えば、イワシとかサンマとかサバっていう、大衆に受け入れられているものは、みんな安く流通しているものですが、それ以外の魚をちゃんとお金に変えていきたいって思うと、量販店や、今の業界内のプレイヤーにそれをわざわざ売っても儲からないんです。
だから、そういう魚は消費者にも知られていないし、知られていないから説明できないし、説明する人もいないんですよね。
そういう人がスーパーにはいないから、結局わかるものしか置けない。流通させない、ということで、誰も変えようとしていないのが現状ですね。
2.世界の食卓を舞台に課題解決したい。
―今後の店舗展開はどう考えられていますでしょうか?
「sakana bacca」を今後スーパーの中で展開したいなと思っています。あと、お頭付きの丸魚のみを販売する「おかしらや」っていう業態は、今すごく調子がいいので、そこを広げていこうと思っています。
―地方創生の可能性も秘めたフーディソンの事業は、行政から声をかけられることも多いのではないでしょうか?
そうですね。やはり、一番求められているのは「販路の開拓」です。
地元で水揚げされている魚がありますけれども、それがいわゆる売りやすい商品じゃなく、市場でも必要とされていない、もしくは今販路を持っていないという状態の魚。そういう魚は、出荷できないから、まとまった量で東京で販売して欲しい、というニーズがありますね。
今までそういった魚は地元で消費されてきました。地元でいうといわゆる「おいしい魚」なんですけど、あまりにも安すぎて、東京に送っても配送コストに負けちゃうんですよね。
ということは、東京で高く売らなくちゃいけないんですが、誰も一歩目にチャレンジする人がいないんですよ。
例えば「のどぐろ」ってあるじゃないですか。あれって、昔は地元でしか食べられてなかったんですね。劣化がとても早いので、東京に送ってるとすぐに悪くなっちゃうんです。
それを、「のどぐろ専門」の飲食店さんがあって、そこで「のどぐろがおいしい」ということでヒットさせて。そのあとテニスの錦織圭選手が「のどぐろ食べたい」って言ったのをきっかけに爆発的に広がったんですよ。
そしたら、のどぐろがガンガン出荷されるようになって。つまり、「売れるようにするための役割」、「需要を喚起する役割」って今は誰も担っていないんですよ。偶発的に誰かが担ってくれたり、もしくは飲食店さんがブームをつくるってことはやっているんですが。
―フーディソンのミッションは「世界の食をもっと楽しく」ですが、先々はどういったことにチャレンジしようとお考えですか?
先々は魚だけじゃなくて、肉や野菜、加工品を含めて、大手さんが持っているその冷凍品や規格品なども含めて、我々がもっと楽しくする場っていうものを作っていきたいと思っています。「食」って全世界の人が関わる人なので、すごい大きなテーマですよね。
目指している姿でいうと、「水産流通のプラットフォーマー」になるっていうこと。水産流通における情報流、商流、物流を最適につなぎ合わせられるようなプレイヤーになることを目指しています。
3.プラットファーマーとして、水産業界の語り部になる
―事業を通して、水産業界の課題や現状を一般の人に伝えたいという思いはありますか?
そうですね。魚ってめちゃくちゃ身近で、魚を食べたことないって人はほとんどいないと思うんですけれども、「魚の流通」ってどうなっているかは、語れる人はほとんどいなくて。水産流通業界にもほとんどいないんですよ。
「僕の仕事はここだよ」っていう人はいるけど、全体像として、構造的に理解している人ってほとんど存在していないんです。
コンテンツとしては、めちゃくちゃ面白くて、一個一個の魚だってそうですし、漁師さんだって面白いストーリーをたくさん持っています。
港に行ったときの、あの雰囲気ってみんな覚えていると思うんですよ。身近なのに案外全然知らないことですよね、ということを、背景も含めて伝えていくっていうのを、僕らがやるべきことなのかなって思っていますね。
4.水産業界と出会うまで―「決める」ということ―
―山本さんは、以前は全く違う業種で仕事されていたということですが、どういう経緯でフーディソンを始めたのでしょうか?
もともと、違和感というか、何のために仕事するのかっていうことはあんまり考えないタイプだったんです。
1社目のマンションデベロッパーでは相当ハードに仕事をしまして、社会ってこんなところなんだって、結構不信感を持ったんですよね。
それがあってから、自分たちで会社を始めたので、そのギャップで仕事が面白くてしょうがなくて。「やってもやってもまだまだ仕事したい!」みたいな感じだったんですよ。
なので、その状態においては「なぜ働くのか?」ということを考えるというよりは、「働かせてくれて嬉しい」みたいな感じでした。
その当時は、働く意味、理念やミッションを、そもそも求めていなかったんですよね。考える必要もないくらい楽しかったので。
その状態で、IPO (新規公開株)ってところまで行って。当時私は既に取締役ではなかったですが、IPOまでは頑張ろうと、一つの目標として掲げてたんですよね。
でも、その一つの目標を達成した後に、「IPOってそもそもなんだっけ?そもそも何を求めて仕事して行くべきか?」と思ったんです。結局、働く意味をもう一回探さなきゃいけない状態になってしまって。
―今の仕事を始めようと思った決め手はありますか?
株式会社エス・エム・エスというところに勤めていたんですが、そこを辞めて、自分一人でやってみようって思いました。
そのときは、一旦自分一人でできるか試してみようということで、いろんな事業、例えば物販やWEBの立ち上げなど色々やってみたんです。でも、それをやっていたら、結局自分一人のご飯食べることはできるなってことがわかって。
それって、「目的なく会社に所属してたのと何が変わるんだっけ?」という風に思ったんです。稼げるんだけど、これってやりたくてやってるわけじゃないなーって。だから「目指すべきもの」が改めて必要だなと思いました。
その時に、「自分のやるべき仕事は何だろう?」と考えました。
新卒一年目でベンチャーに入った時からずっと問いかけてきたことではあるんですが、その時はいつか起業するんだって思いで、入社したんですね。それで、「テーマを決めよう、決めよう」って、22歳から33歳までずーっと悩んできたんですよ。
「決められないな〜この11年間」ってふと思ったときに、「何で決められなかったんだろう?」ということを考えると、「結局自分が人生に終わりがない」っていう前提を持っていたということに気づいたんです。というか、いつかは死んじゃうことはわかっているんですけど、事業を考える上では、納期を持っていなかったんですよね。
つまり、「いつまで悩んでいても、いつか自分が出会ってチャレンジできるはず」という風に思っていて。
でも、立ち止まって、自分が60歳になったときに、死ぬ気でチャレンジできるかって考えてみると、そんなエネルギーないんじゃないかなって思ったんです。そしたら、悩んでいる時間っていうのも、もったいなく感じたんです。
当時、僕は32歳だったんですけど、あと5年悩んでたらもう終わりだなって思ったんですね。ていうか、11年悩んで決まらないものあと5年悩んで決まるわけないし、そもそも天から何か降りて来て「あなたこれやるべきです」なんてなるわけもない。
だから、僕は納期を決めることにしました。この時、2012年の10月だったんですが、12月末までには絶対に事業を決めようと。この期間内に出会った事業チャンスの中で、相対的に一番良いものに決めることにしました。
そこからいろんなテーマでいろんな人に会いに行って。その中で、色々ありましたけど、水産業は一番面白いと思いましたし、漁師さんという当事者とも出会いがあって、自分ごととしても考えることができました。身近なテーマでもあったし、経済的にもすごく大きなマーケットがあって。
そして、ITの文脈ではチャレンジしてる会社がほとんどなくて。もしかしたら、僕レベルのITリテラシーであったとしても、相対的に優位になりえるような産業である可能性があるんじゃないかって思うと、魚で起業するってめちゃくちゃ面白いなって思って。
よく「自分が生きている意味ってなんだろう?」って悩む人いるじゃないですか?僕も結構悩んでたんですけど。それは「決める」ということでしかないなと思っていて。
同じことだなーと思ったんですよ。僕が事業決めるときに、自分がどんな事業をやるべきなのかっていう問いは、「自分がなぜ生まれて来たのか?」っていう問いと同じくらい、「決めることでしか解消されない」ということが、自分の中でクリアになりました。
5.幸せとは理想の未来に近づくこと
―山本さんにとって「働く」ということは何なのでしょうか?
「何で生きてるんだっけ?」という問いに対して、僕は「幸せになるため」って決めたんですよね。
自分にはめちゃくちゃ悩んでた時があったんですけど、僕は子どもが生まれたときに、すごい幸せを感じたんですね。その時、こういう思いを持って生きることができたら、すごいいいなって思ったんですよ。
その時、子どもが生まれるということが、なんでそんな思いになったのか?と振り返ると、「子どもがいることが未来を連想させてくれるからじゃないか?」と思ったんです。
今できないことができるようになっていったり、高校に入って部活に入ることとか、孫ができることとか・・子どもが家族を持って、またその家族が増えていくこととか。そういうことを想像させてくれたんですよね。
そこから一つの「未来の理想」ができて、それに近づいていくっていうことを予感させてくれたんです。理想の姿に近づいていけるという期待感がある状態が幸せなんじゃないかなって僕は思っていて。
僕は、それがビジネスでも同じだと思ったんですね。戦略を立てて、お金と人を集めて、理想に近づいていく過程って、幸せのアプローチそのものだと思ったんですよね。
―なるほど。すごく素敵ですね。是非、世の中の「働く人」に対してメッセージをお願いします。
「自分自身のこと」って実はあまり知らないと思うんですよね。だから自分自身のことをもっと知らないといけないと思います。
自分自身の中にある問題って、向き合わなくても痛みとして出てこなくて、前には進めちゃうんですよね。でも、向き合わないとその根本にある問題が外に表出し続けると思うんです。
「自分自身って一体何者なんだっけ?」ってことを知ることは必要だと思うんですよね。自分自身の理解なくして、未来の展望って描けないと思うんですよ。そこに絶対答えは出ないので、もう答えは仮決めでもいいと思います。だから、そこへ向かう過程で自分に向き合うことが必要なんじゃないかなって思いますね。
実行することで、どんどん学びが得られるし、学びが得られると、どんどん精度が高くなってきます。だから、あまり頭でっかちにならないで、ある意味感覚的に一回動いてみたほうが得なんじゃないかなって思いますね。
―これまで事業でなかなかうまくいかないときに、一緒に働くメンバーのエンジンになるものっていうのは何かありましたか?
それはやはり、ミッションとかビジョンとか、目指している姿を描くことですね。僕らの場合は「水産のプラットフォーマーになるんだ」ということ。その思いに対して、実際には日々程遠い事業をやってるわけですよね。魚を一尾売って、500円とかって勝負をしてて(笑)。
「世界の食をもっと楽しくする」ってことを掲げていたときに、その間にはとんでもない開きがあるけれども、それでも、鯛を売る中で学びがあるんですよね。その業界の構造がわかってくるとか。
そして、お客さんの声を聞くと、どうやら今の市場には色々問題があるらしいとか。今まで仮説として持っていたものが、リアルな声として入ってくるんです。そういったことに、すごく元気付けられました。
「世界の食を楽しくする」というビジョンはとても大きいですが、この大きさが、みんなの力になっているんだろうなと思います。
大きなビジョンを描き、そこに辿り着くまでの過程こそが「幸せ」である、という山本さん。働くことで個人の幸せを実現しながらも、社会に貢献しようとするフーティソンの前向きな姿勢に、インタビューをしている私がワクワクさせてもらいました。今後、フーディソンが日本の水産業界、そして「世界の食卓」を変えていく未来が、とても楽しみです。
2001年大手不動産デベロッパーに入社、2002年合資会社エス・エム・エス入社後、組織変更に伴い、株式会社エス・エム・エスの取締役に就任。創業からマザーズ上場まで経験。2013年、ITを活用して、水産業界の課題を解決するために、株式会社フーディソンを設立。