「社会的貢献が出来ている仕事でないと意味がない」石坂産業 石坂典子氏インタビュー

「産業廃棄物」と聞いて、一般的にはどのようなイメージを抱くでしょうか。ゴミは捨てれば終わってしまうもの。しかし”再利用すれば資源となる”もの。

リサイクルが困難ゆえに、同業者も受け入れを拒んでいた混合廃棄物を再資源化するために『焼却』ではなく『分別』の技術開発を行い、今ではリサイクル化率98%を達成している 石坂産業株式会社。他がやりたがらないことに率先して取り組み、産廃処理というビジネスのイメージを覆そうとしている同社が、これから描く未来とは。石坂産業株式会社 代表取締役 ⽯坂典⼦氏にインタビューを行いました。

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1. 事業内容 “社会から必要とされる仕事を”

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビューー

-石坂産業さんは、他社ではなかなか受け入れが難しいような産業廃棄物を受け入れており、そこに特化されていますが、その点が技術としての一番の「強み」ですか。

事業活動にともなってでてきた廃棄物は、すべて産業廃棄物となります。もともと石坂産業でも焼却が主流でした。
日本では、今でも7~8割ほどが焼却されています。これが、一番容積を小さくする技術だからです。燃やすということに関してマイナスのイメージがありますが、廃棄物の容積を小さくする高度な技術といえます。
ダイオキシン問題で社会をにぎわせたこともありますが、今は燃やす温度も違い、燃やし方も変わってきていて、廃棄物を助燃材として使っているバイオマスが主流になってきています。当時、我々は地域住民の方々の反対運動により、焼却事業ができなくなる可能性がありました。「産廃業者は出ていけ」という状況が起きて、「会社を残すのか」、それとも「焼却事業を無理して続けるのか」という窮地に立たされたのです。

石坂産業は、私の父が創業しました。父は事業を続けたいということを希望していました。事業を続けるということは、地域から反対されているような事業だと続けられない。社会から必要とされる仕事であることが重要です。この地域では「焼却をするな」という強い要望があったため、私たちは焼却によるリサイクルを断念したのです。

その時に、石坂産業のメインの事業が失われてしまうことについて、今後どうするかという話になりました。当時最も日本国内で不適正処理や不法処理されていたのが、建設系の廃棄物。家を壊していくと、壊し終わった時に最後に更地になったところには、色々なゴミが混ざっています。それが「混合廃棄物」と言われるのですが、これが一番不法投棄されていました。その不法投棄されている、同業者が嫌がる混合廃棄物に、我々は特化していこうと考えました。なぜ嫌がるかというと、「精度分級」と言って、かなり細かいところまで分級していかないといけないんですね。細かく分けようとすればするほど、時間と労力がかかります。コストがかかるものは、業界的には手をつけたくない。また粉塵がたつため、作業員がやりたがらないという点でも、同業者は嫌がる廃棄物でした。

それを、あえて将来の主要ビジネスとして、リサイクルできる技術を積み上げていこういうことで始めたのが15年くらい前です。5年程前に、日本で初めて国土交通省からリサイクル認定をもらうところまで10年をかけてやってきました。今まで埋め立てられていた廃棄物を再生していくという技術を持っているというのが、私たちの強みだと思います。

-産業廃棄物を受け入れて処理して、そのうち95%をリサイクルされているということですが、受け入れによる売上とリサイクルの売上とでは、どちらが大きいですか。

前期の売上は受入れで51億円の着地予定で、売上のほとんどが受入れになります。リサイクル商品も扱ってますが、これは利益にはならない。全体の一割くらいでしょうか。1kgあたり何銭の世界で買い取ったりしています。

問題は、廃棄物由来の原料は高く売れないということ。これは、すごく大きな環境問題の話になってくるのですが、安くモノが買えてしまうということには世界的な問題があります。木材など、どんどん後進国で切って持ってくる方が増えていますが、人件費などを考えてもコストが安い。我々の方で、リサイクルするコストの方が高くなるんです。

そのため、リサイクルについては受入れの段階でお金をいただきます。廃棄物を出した側の責任として出していただいているのです。リサイクル品が高値で売れなくても利益が出ているのは、受け入れで売上が出ているためです。日本人の感覚でも、片方は新品で真っ白、片方は黄色になっているリサイクル品を選択するときに、リサイクル品の方が高いとなったら誰が買いますか?みんな新品を買っていくので、リサイクル品が高値で売れるわけがないという話です。リサイクルだから安いのは当たり前でしょと思っている風潮にリサイクルの課題が多くあります。

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー
(全天候型の資源再生プラント)

2. 経営理念 “謙虚な心、前向きな姿勢、そして努力と奉仕”

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー

-石坂社長は、二代目の社長ということで、お父様から引き継がれて経営されていく中で困難なことはたくさんあったと思いますが、一番大変だったことはどんなことですか。

子育てとの両立ですね。社長になった時、子どもは2~3歳でした。振り返ってみると、焼却をやめるタイミングで全てが変わったと思います。

でも、実は何も奪われるものはない状態からスタートするのはやりやすいのです。むしろ今の方がやりにくいですね。社会から期待されているから。今の石坂産業は、これからどんな方向に進んでいくのかということに、期待されており、経営者にとってはそれがプレッシャーになる。社長を始めたときは誰からも期待されていませんでした。むしろ誰にも相手にされない状態からスタートするほうが、気が楽でした。そういう意味からいうと、地域からは愛されてはいなかったけど、スタートラインに立つタイミングとしては、一番良かったと今となっては思います。いろんなものが足りなくて、「がむしゃらに頑張ろう、やれるだけ頑張ろう」と思えました。

-お父様から経営理念を三つ引き継がれたと聞きました。それを、社員の方々にどのように広めていかれたかを教えていただけますか。

会社は、「何のために存在するか」ということを絶対忘れてはならないと思います。私は地域の方から反対されて、ここから出ていけと言われた時にでも、この会社の価値をすごくよく分かっていたと思います。みんながやりたがらない仕事をどこかで誰かがやらないといけない。そうじゃないとゴミが片付かない。だから、それをやってくれる人たちがいる会社は素晴らしいと。周りからバッシングされていてもすごくプライドがあった。この仕事の価値をきちんと伝えていくということが重要なことだと思っていたのですが、当時の社員たちや地域の人たちは、そんなことに興味はない。だから、その時に会社を変えていこうと。

いちばん分かりやすく変えていったのは、見た目です。やはり、印象は大事なので、きちんとした建物を建てて、製造業のようにまず、第一印象をきれいな会社にしたかった。女の人が”働いてもいいな”と思える環境にしたかった。そうして、建物を建てるのですが、それを建てても利益が上がるわけではない。それは、ハードの大きな投資です。

最終的に、それらを活用してお客様を呼んできてくれるのは、社員です。社員のモチベーションややりがいといったものがなければ結局は活かされない。そこにある財産が活かされない。だから、社員教育をしていこう、石坂産業が将来持続していくためには社員の成長が大切だと思いました。社員が成長できない会社は会社も成長できない。

石坂産業ではそのツールとして、7種類の統合マネジメント国際規格ISOを取得しました。ISOの世界で言えば、日本でこの数を取得している会社はないだろうと言われています。なぜ、国際規格ISOにこだわったかというと、取引先がゼネコンさんやハウスメーカーさんだったからです。とにかく、彼らが気にするのが「イメージ」です。2000年以降、日本政府は環境基本法や、自動車リサイクル法、家電リサイクル法、容器リサイクル法といった、廃棄物・リサイクル六法を打ち出してきました。大手企業にCSRやコンプライアンス、トレサビリティといったものを求めてきた。大手企業は、例えばCSR部を立ち上げたり、環境白書を出したり、私たちはこんなに素晴らしい会社ですということをアピールし始めていました。

その時に、初めて取引先が私たちの会社を見に来てくれました。それまでは全て任せっぱなしだったんです。ゴミを出したら「早くここから持って行ってよ、安く処理してよ。」という感じで、それをやるのは、自分たちではない。ゼネコンやハウスメーカーが片づけるわけではなくて、下請けに丸投げして、この金額で片づけてというだけで、その先を見には来なかった。でも、政府がきちんとやりなさいと言ってから、初めて自分たちの出しているごみのトレサビリティという観点から、産廃処理会社を見に来たのです。でも、その時に自分たちでどの産廃処理会社が良い会社か選ぶのが難しかった。だから、選定方法の一つの基準が、国際規格ISOを持っている会社かどうかということでした。

当時、石坂産業は国際ISOを持っていなかったんです。焼却炉を廃炉にして、リサイクル・再資源化に特化することを決めたのですが、リサイクル品を買い取るエンドユーザーから評価をされる時に、国際ISOを取得していれば配点が高いということがわかりました。なぜ配点が高いのかを聞いたら、良い会社がどの会社かわからないし、処理能力などを見ても産廃屋はどこも一緒だと。逆に言うと、私たちの業界が可視化できていないということです。どうすれば社会に評価されるのかというのが、目で見てわかる方法が無かった。

だから、国際規格ISOを取得したいと思いました。社員の中には学ぶことを嫌がって、辞めていく人も多くいましたが、最優先で取得したい、と私は思いました。当時代表権がない社長だから、創業者である父に相談しに行ったら、「コンサルタント会社を入れて、名刺に国際規格のマークがついたからっていい会社になると思っているのか」と問われました。私は、「マークの取得だけに絶対しない。経営と一体化させて運用するからやらせてほしい」と伝え、認証を取得しました。

当時、会社には”経営理念”がありませんでした。私が社長に交代するときは、社員数が60人。社長が経営理念そのものでした。社長の声が聞ける距離に、社員がいたということです。まさに、「家業」から「企業」の転換期でした。60人くらいなら号令掛けてみんな集めて、一人でもリーダーシップがとれます。ところが、「家業」から「企業」へ変革していこうと思ったときに、経営理念がないといけないと思いました。やはり、創業者がどういう思いで会社をつくったかをきちんと聞いて、創業者が考える「経営理念」というのを、きちんと立ててもらう。それが、会社を興した人の使命だと思いました。父に、「何のためにこの会社を興して、どういう会社であってほしいですか」と聞いたら、破いたような紙切れに書いて渡されたのが、「謙虚な心、前向きな姿勢、そして努力と奉仕」という言葉でした。初めて見たときは、物足りないと思いました。他の会社の経営理念のように「貢献」とか「何とか何とかで社会に役立つ」とか、そういうのが来るかと思ったら、すごくシンプルで。

でも、会社を変えていこうと思ったら、色々なことにぶち当たっていく。地域からのバッシングも、社員からの圧力もあったけど、その都度思い起こせたのが、この経営理念です。「謙虚な心」という言葉には、人の話を聞く、周りをよく見るという意味があったり、色々なことを言われても「前向きな姿勢」でいるということ。そして「努力しろ、奉仕しろ」と。まさしく私に言いたいのかなと思いました。

社員へのメッセージとか、会社の理念というより「人としての生き方」。それを教えてもらったような気がしています。10年を振り返って、初めてたくさんの人達から聞かれるようになった時、インタビューを受けられる側になって初めて思ったのが、あの「経営理念」があったおかげで、今の会社があると思えるようになった。当時は、何か物足りないと思ったけど、その言葉があったからこそ今の私がいて、今の会社があると思えるようになった。人としての生き方として謙虚さを持たないと、特に長年仕事している人たちは、傲慢というか、慇懃無礼な人もいるじゃないですか。謙虚さがなくなるとは、成長がなくなるということ、色々なネガティブなことがあっても常にポジティブでいるということが重要です。それでいて、社会奉仕とは何かということを考えさせられるこの言葉は素晴らしいと思っているし、社員の生き方として残していきたいなと思っています。

3. 組織運営 “社員や地域住民の声から、優先順位を”

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー

-ISOの取得や3Sを実行するということが、社員の方にとってジブンゴトになった瞬間は、どんな時でしょうか。

伝わっていると思っていても伝わっていないと言われるかもしれないから、本当は社員に聞いてみたいけれど。でも、社長になって、ずっと言い続けたことというのが、「すべての仕事に意味と価値がある」ということです。当時、私たちの仕事の中で、社員の仕事の中に優劣がついていました。例えば、重機オペレーターは偉いとか、あの仕事は底辺だみたいな内部分裂みたいなものが少しだけあって。だけど、全部の仕事に意味がある。経営者がそこに必要だから、その人をその仕事に当てているわけで、無意味な仕事はない。無意味だと思ってしまっている心に問題があるわけで、その配属された人たちに、「なぜ私はあなたにその仕事をしてもらいたいのか」、「どういう気持ちでしてもらいたいのか」ということを伝えてきたつもりです。

やっぱり、社長が出来ないことを社員にやってもらって組織になるわけだから。その思いが通じないと、価値を分かってもらえないから。その仕事を選択した意味、それも自分で納得してその仕事を選択したこと、それがそのうち嫌になるというのはおかしいという話を、ずっとし続けてきました。

そして、社員が一番大きく変わったと思えたのは、情報公開でした。経営者にとって、即断即決するためには情報がすべてだと思います。色々なところから情報を得てくると思うけど、その情報を経営者だけが持っていても何の意味もない。だから、すべての社員の人たちに売上や勤怠の問題など、会社の課題を全て公開するということをしました。

なぜ、情報公開をしようとしたかと言うと、新しく入ってきた社員たちが、給料をあげてくれというわけです。俺たちはこんなに頑張っている、だから給料をあげてくださいと。でも、何を頑張っているかということを具体的に数字で示せない。働いている人たちが頑張るのは当たり前です。頑張らない人はむしろ少なくて、どう頑張るかということだと思う。その頑張り方が分からないのに、頑張っていると言っている。ベクトルの合わない頑張り方をしていると、組織としての力が弱くなってしまうから、ベクトルを合わせるために、きちんとした年間目標などを設定していくのが重要だと思いました。だから、数字で捉えてもらうために、ありとあらゆる情報を公開しました。そうすると問題が、ランキング順になるわけです。

石坂産業は工場なので、工場が止まると困る。工場が止まった時に、なぜ止まったかという原因を全部書かせた。書いたものをパソコンで入力するという仕組みをつくって、入力してもらったものを半年後に情報公開する。そうすると、一覧表で見たときに、問題が上位順になっている。その上位が、何番コンベアのベルト切れによって何番プラントがしょっちゅう止まっている。トータルすると半年で5日間とか。会社に出勤して働いていても、トラブルで会社を休ませている。そうすると、こういうトラブルをだれが直すのかという話になる。今までは、社員さんは全部会社のせいだと思っていました。だけど、そういう課題解決は社員の仕事です。それが「働く」ということだから、課題のない会社はないし、課題も見つけられずに働いて、給料あげてくれなんて、これはないでしょと考えました。情報公開をして、それを見て優先順位をつけて、それを直すという仕事をしてもらったんです。

なぜならば、当時私は社員に「社長」となかなか呼んでもらえずに、「くそ女」と呼ばれていました。「溶接も出来ないし、重機にも乗れないのに、威張ってんじゃないよ」と。溶接をするということは私の仕事か、ダンプに乗るのは私の仕事か、と思った。それは、何のためにあなたがいるのかということを自覚していない。だから社長が出来ないくせに指示しているとなってしまう。

社員が、自分がすべき優先事項をはっきりさせて、解決すべきことはこれだということが分かった時に、その翌年からすごく変わってきました。自分たちで直していくという行動に変わり、トラブルだらけだったプラントがみるみるトラブルがなくなりました。工場では、必ず「ちょこ停」(ちょこっと停止)というものがあります。それは30秒とか、下手すると30分とか、1時間とかになります。事後対策ではなく、予防することが大事。その予防するところまで、石坂産業はまだ行けていないけれど、予防するという意識を高めるということを今やっています。リスク対策になっていくわけだし、そうやって早い段階から先手を打って対策できる会社は強くなると思っていて、そういうことを考える社員づくり、会社づくりに取り組んでいます。

-自分達で優先順位を決めて、自分たちで取り組んだことがポイントなんですね。

そう、考えさせること。会社などの組織に入ってくる時に、組織の条件で入ったり、自分のやるべきことをよく考えずに待遇だけで就職してしまったりする人がいる。石坂産業に入る社員からも、最初の動機は家から近いから、とりあえず稼げるからと言われてしまって。でも、人生の中でどれくらい仕事に費やすか、という話です。自分の人生をそこに費やすのに、家から近いからやっていますなんて悲しいじゃない。自分の仕事は何かということをよく考えてやるべきだと伝えています。

自分が社長になった時、朝7時頃から働き始めて、全部終わって帰るときにはだいたい12時間くらい働いていました。家にはもう寝に帰るくらいになっていて、疲れているし、自分の人生って何かなと思うくらい仕事に没頭していて。そういう中でも、私は経営者としてやりたいことをやっているからいいけど、働いている人たちはやりがいを感じているかなと思った瞬間がありました。だから、社員の人に「仕事は楽しいですか」と問いかけたことがあります。朝から晩まで働いて、「仕事楽しいって思えてる?」って聞いたんです。でも、誰も答えてくれなくて。答えてくれないから、「どうしたら仕事が楽しくなると思う?」って聞いて。

その時に、「イエスマンの仕事は駄目なんだ」と言いました。人から言われた仕事を毎日するのは退屈になる。そのうち嫌になる。そして不満になる。不満になると、その理由を会社が悪い、上司が悪い、お金がないと言いだす。自分で考えて、自分で行動して、改善した時の成功体験が仕事の楽しさを生み出すんだと。

そしたら、社員たちが2ちゃんねるを見てくださいって教えてくれました。はじめて知って見てみたら、「今の社長は自分で考えられないから、俺たちに考えろって言ってる」って書いてありました。当時の石坂産業は、そういう会社でした。私は、楽して稼ぐとかそういうのは大嫌いだし、楽な仕事が良い仕事だとは思っていない。仕事は辛いのが当たり前。でも、やりがいというところはまた別のところから産まれる。それが、ホワイト経営とかになると、やりがい搾取とかいろいろ言われて労働問題になってしまうけど、もっと純粋なハートの部分から、自分のやりたかった仕事はいったい何?って。

私は仕事を通して、社会的貢献が出来ている仕事でないと意味がないと思っています。私は社長として、社員一人ひとりのやっていることによって、会社の何に役立っているかということが分かるように伝えていくこと、そして、そういう場と機会をつくることが、仕事だと思っています。社員の人たちが、毎日トイレ掃除ばかりやってられない、ということではなくて、そのトイレ掃除を見てお客さんがどう思っているか、どう感じてくれているかと考えたことはあるか?という問いかけをしたりして、社員の人たちが気付くきっかけを与えることが重要だと思っています。

-<参加者>僕たちは、みんなそれぞれ事業を持っていて、それぞれ課題を抱えています。それがどうやったらうまくいくのか、今回のように話を聞きに行ったり、休みの時間を使って勉強していますが、石坂さんは自分の経営理念などをどうやって磨いてきたのでしょうか。やっているうちに磨かれていったということはもちろんでしょうが、他に何かあるのかなとすごく興味があります。

色々な話を聞くことはすごく大事だと思っています。だけど、聞いたところで自分の世界観に落し込めるかということが宿題だと思います。石坂産業でやったことイコール自分の会社でやれることではない。それは、我々も経験してきていて、良い制度があるからそれを自分の会社に入れたからって良い会社になるということは絶対ない。それは、自分の会社のカラーというものがあって、それに見合うものを入れてあげないとうまくマッチングできない。

私が同業他社から、答えは出てこないと思ったのは、圧倒的な付加価値をつくりたかったからです。それは他の同業他社からの情報を見て、まねをしたくなかった。独自なものを生み出すにはどうしたらいいかということを考えて、身近な人たちの意見をよく聞いた。それは、社員の声と地域の声とお客様の声を徹底して聞いてみた。その中に優先すべき順位が見つかってきたというところが、いまの石坂産業になってきています。

ひとつ刺激になったのは、20歳の時にアメリカのBOSEというスピーカーメーカーの創業者が「上場しない」と言いきったことです。アメリカでは上場しないとステータスにならないし、評価を得られないところがあると思います。彼が、上場しないと選択した理由が、「上場するための時間は必要ない」ということ。もっと良い音をお客様に届けるために、スピーカーの技術の開発をしたいと言っていました。彼の理念はぶれていない。もともと生の音をどれくらいリアルにお客様に届けられるか、ということのために会社をつくったわけだし、上場のために頭を使ったり、ディスカッションしているくらいなら、技術開発にお金をかけたいと。それともう一つ、社員の働く環境の整備に投資すると言いきっていました。私はそれを聞いた時に、すごくかっこいいと思いました。

私は常に、労働環境の改善には投資しないといけないと思っています。そのためには、本を読んだり、講演会を聞きに行ったりというよりは、まず周囲の人の話をちゃんと聞こうと考えています。例えば、地元のおばあちゃんの声を聞いたりする。そうすると、まずは地域に愛されたいという気持ちからスタートします。周辺地域からもゴミが来て、それを処理する。つまり地産地消ビジネスです。地域特化型ビジネスなのに、地域の声を聞かない会社はおかしいと思った。地元の方たちと話をしていると、地元の問題が見えてきた。だから地元の問題解決にお金をかけたいと思いました。利益を海外の植樹に投資するくらいなら、と。評価されなくても地元の植林を始めたり、今の工場の周りの雑木林の手入れも始めました。

でも、雑木林の手入れを始めるときに、どう手入れするかを迷ったんです。その時に、たまたま一緒にお話したおばあちゃんが、昔はやまゆりの花がたくさん咲いていて、素敵なところだったとお話をしてくれた。そのとき、なぜここにやまゆりの花が咲くのだろうと不思議に思いました。生態の変遷だったようなので、次は生態系を勉強しようと思いました。灯台もと暗しで、地元に問題解決の答えがあったりする。地方創生の問題の中で、何かの成功事例を同じように持ってきても成功しないというケースがよくあります。例えばリトル東京を東北に作ろうとしても成功しません。そこには、東北の課題を把握しないままリトル東京を作っても成功しないということ。だから、地元を知り尽くすということが必要なのです。

石坂産業で、地元の人たちや社員の声から優先順位をつけてやってきているというやりかたは、今も変わっていない。なかなか遠くの人の声まで聞き入れられていないというのは、石坂産業の今の会社の規模と器の問題だと思う。自分たちでやれる範囲のことを、まずは地道にやることが大切だと思っています。

4. 地域への取り組み “工場見学が理解・共感の契機に”

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー

地域の方に理解されて、愛される会社になるために「工場に対する投資をして環境に配慮した」ことの他に、何か地域の人たちへ起したアクションはありますか。

工場に見学者通路をつくって、とにかく私たちのやっている仕事を見てもらうこと、知ってもらうことをやりました。最初は、私が単純に私たちの仕事の価値を知ってもらいたくて、工場見学通路をつくったのですが、実はもっと良い効果がありました。それは社員が「見られること」によって、意識が変わったということ。自分の親が家に来ても掃除はしないけど、全然知らない人が来るとなると、ちょっと掃除するでしょう。人に見られるということが刺激になって、社長が毎日現場を回るより良いことだと思いました。たくさんのお客さんに来てもらって毎日が外部審査を受けている感じ。色々な人の目線で毎日見られている。色々なことを言われるけど、それが全部経営の情報になる。外部に公開したことで、こういう考え方を持っているお客さんがいる、こういう目線もあるということがアンケートから吸収できるので、今まで聞けなかった声がタダで聞けて、社員にも刺激になる。

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー
(工場見学通路の様子)

当時、私が工場を見せたいと言った時に、社員から「誰が見に来るんだ、産廃業なんて誰も見に来ないだろうし、興味もない」と言われました。実際、最初に見に来たのは反対運動している人でした。環境団体の方で、なんとか石坂産業を潰してやろうという人たちが来て。すごく文句を言われて。最後にその人が私を指さして、「あんたは本当に地域を汚染してやがる」と言ったのです。石坂産業がたくさんのゴミを集めてきているから。そこまで言われて私は、「じゃあこのゴミはどこで処理したらいいんですか」と逆に聞き返してみた。そしたら、その方が、「そんなこと知らない。北海道とかに持っていけばいい」と言ったんです。「海外に持っていけ」ならまだ日本の環境を守ろうということかもしれないけれど「北海道とかに」って言ったって、北海道の人が良いって言うわけない。全国どこでも反対されている産廃業者・ごみ処理という問題に対して、自分の地域さえよければいいという価値観は、どこから生まれたのだろうと思いました。

廃棄のことを、世の中が知らなすぎるのです。学校で教育されないから。環境教育の活動をしているのも、子どもたちが産廃を知らないから。ちなみに、東京六大学の学生に、産廃処理業も環境ビジネスだと言ったら「へぇ」って顔されて。これだけ世の中に、環境経営や環境経済が回っているのに、どれだけのゴミが出ているかということも知らないで物をつくっていく。こんな無責任な社会でいいのかと思っています。

「アンダーグラウンドビジネス」と勝手に呼んでいますが、産廃のゴミ処理は、普通は見えないけれど、見えないところこそ見せるべきだと思っています。ただ、見学しても石坂産業は何か商品をくれるわけじゃない。通常、工場見学は、自動車とか化粧品などの製造業が多い。製造業の社長の方になぜ見せるのかと聞くと、最終的に自社のファンになってもらいたいから。会社のブランド品・作っている製品が、安心安全で良いものだということを見てもらって、消費行動につなげていくための工場見学ということでした。ところが、石坂産業の場合、見学者をたくさん受け入れして、そのためのスタッフを抱えても、見学者はお金は落としてくれるわけではない。社員から、なぜ社長はそんな受け入れをしているんだ。ビジネスにならないじゃないか、と言われました。

その時に「ブランドとはいったい何か」と考えました。自社のブランド品って、製造業であれば、それぞれの強みがあると思うけど、石坂産業には手に取ってもらう商品がない。だから、見えないブランドを作らないといけないと思いました。それは、お客様や一般の社会が、「石坂産業ってなんかいい」というもの。目に見えないブランド品は、一人に一つの答えじゃないということ。たくさんの答えをお客様やファンが持っているということだと思います。ファンづくりを考えた時に、お客様が一番私たちを褒めてくれるのは何かと考えたら、「社員の挨拶」や「社員の笑顔」、そこでした。

10年、15年振り返ってみたら、石坂産業の「社員」がブランドになっていたということでした。素晴らしい会社はたくさんあるし、能力やレベルが上の会社はいくらでもある。だけど、年間3万人近い人が私たちの会社を見に来てくれるのは、みなさんが口コミで面白い会社だと言ってくれているからだと思います。つなげて声に出してくれること、声に出してくれることが、会社・同業者を教育してくれている。声によって、同業者を変えていく力を持つということ。石坂産業みたいに情報公開している会社は良いよねって言ってくれると、同業者がまねをする。社員がこんな元気な会社は良いよねって言ってくれると同業者がまねする。同業者の社長さんがたくさん見に来てくれて、石坂産業と同じようなことをたくさんしてくれた。どの経営者も社員の労働環境を整えるのが大切だと思っているけど投資するのは怖い。何億も投資して、本当に元が取れるのかなと思っています。だけど成功事例が一つでもあると、やってみるかなと思ったりする。突破口があることによって同業者が投資してくれると、同業者の質が良くなり、業界が変わります。業界全体の底上げにつながっていくし、皆さんが今日来て見て良いなと思ったら、その声をどんどん上げていってほしい。だめならだめと言って帰ってほしい。どちらの声をいただいても、私たちの社員の刺激になることは間違いないんです。

5. 今後の展望 “環境・産廃ビジネスの価値を発信し続ける”

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー

-今後の展望について教えてください。

父が目指したものは廃棄物の100%リサイクル。ただ100%を石坂産業で出来なくてもいい。ステークホールダーあわせて100%の世の中にすればいいと思っています。そのためには、もっと多くの人に影響を与えていきたいと思っているし、こういう見学会をやったり、今日のような場も一つの発信のツールだと思ってやらせてもらっています。子どもたちが廃棄物処理のことを知らないまま大人になることはとても残念だと思っています。なぜなら物をつくるということの裏側には、廃棄されるというタイミングが必ず来るということだから
です。物をつくることと同じくらいに廃棄物を処理する過程を考える人たちが必要になる。

だから、こういう事業があるということを知ってもらいたいし、小さいときから廃棄物って何だろうということも感じてもらいたいと思っています。地元の子供たちを年間5千人位受け入れて環境教育というフィールドで見学に来てもらっていると、子どもたちの中には将来こんな仕事をやってみたいという子もいるし、会社で働いている社員さんが自分の子どもを入れてくれるというケースもある。そうやって会社が続くということは、繋がっていくということなので、人が集まってくるということが会社の強みだったり良さだったりするのかなと思っています。

私は、規模の経営というよりは、良い会社だと言われることが大事だと思っています。社員がそう思うことも大事。その答えとして、社員が自分の子どもにも紹介する、もしくは地域の人が自分の子どもがこの会社にお世話になってほしいと思ってくれることが大事だと思うので、まずそこまでは達成していきたいと思っています。100年経営と考えた時に、一代の社長が出来るのはわずか20年くらい。その短い期間でたくさんのことをしなくていいと思います。会社の規模の拡大なんて次の世代にやってもらってもいい。

起業して10年で会社の7割以上がつぶれると言われています。50年続く会社は0.7%しかない。50年続く会社を起さなかったら起こす意味がないと思う。我々も100年目指してあと50年、1からスタートする気持ちでやろうとすると、長い時間だと気づかされます。そうすると一代の社長であれもこれもやる必要はなく、私の代では、地固めをしっかりできればいいかなと思っています。少なくとも、私が二代目社長になった時に、地域から必要とされる会社をつくることを目指して、今ようやくそういう声が聞けるようになってきた。これからの目標は、この業界自体が必要な業界だと言われることです。
世界からも20カ国くらいの方が見学に来てくれましたが、その方たちが言っていたのは、石坂産業で処理しているような廃棄物は、みんな埋め立てで処理しているということでした。埋め立てに良いことはありません。世界中で、ゴミが埋め立てされたり、海洋投棄されたりしている。良い地球を将来に残していこうと本当に思っているなら、ゴミの問題をすぐさま解決すべきだと思います。でもそれは、業者だけの問題ではない。作る側の問題だったり、捨てる側の問題だったり。教育現場だけの問題でもない。だから、それを積極的にやるようなことを並行してやっていきたいです。

今は、研究棟を作ろうと発信していて、約300人が集まれる「オープンラボ」というホールのある研究棟を作りたいと考えています。2年前に5年以内にやると決めてあと3年しかないけれど、そこまでやったらまた、次に何が出来るかなということを、自分の年齢と考えてやってみたいと思っています。中途半端は嫌だから一つずつ潰していって、絶対あきらめないでやれるまでやる。伸びてもかまわない。自分の中に順番があって、もちろん順番を変えていくことはあるけど、やりたい範囲のことが出来なければ、どんどん工場拡大とかは思っていません。今は、これから働く人たちに環境ビジネス、産廃処理というビジネスが素晴らしいものだということを伝えていく活動を力を入れてやりたいと思っています。

6. 働く哲学 “どんなことがあっても、働くことは素晴らしい”

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー

−石坂社長にとって、「働く」とは?

働くとは…考えたこともなかったけれど…「使命」・「役割」だと思います。そして、どんなことであっても働くことは素晴らしいことだと思っています。やっぱり、不満に思って働く人生はやめた方が良い。私は自分の責任でこの仕事を選んでやるって決めているから最後までやる。会社が失われるまで、とにかくできるところまで目いっぱい頑張るって常に思っています。それが自分の選択した使命・役割だと思っているから。
実は、最初はアメリカから帰国して、ネイルサロンでもやろうかなと考えて免許も取得して、資金稼ぎに石坂産業に入社したんです。ところが、たまたまダイオキシンの問題で、「石坂産業出て行け!」と地域住民の方から声があがって。でも、「こんなに素晴らしい仕事なのになんで」と思いました。大変な仕事だけど、大変な仕事をやってくれる人たちがいて、社会が良くなっている。そして、一つの仕事としての価値ある仕事だと自負しています。親が子どもに産廃をやらせたくないと言う権利はないと思うし、自分の子どもたちにも、親がゴミ屋さんに勤めていると言いにくくなったらかわいそうだと思っています。だから、私も社長になった時に、自分の子どもが学校でお母さんの仕事は廃棄物処理の仕事ですって胸を張って言えるような会社にしたいと決めました。まずは、そこが出来なかったら駄目だと思ったし、おかげさまで子ども二人とも石坂産業にに入って手伝いたいと言ってくれています。そういう意味では、この仕事の価値を分かってくれていると思うので、やってきた甲斐があったなと思っています。考えたこともないからかっこいい言葉で締められなくてごめんなさいね。

幾度となく立ちはだかる壁も、自社のビジネスが持つ確固たる意義と、断固たる意思のもと乗り越えてきた石坂さん。信じて伝えて行くことの尊さと力を感じるインタビューでした。同社のこれからと、同社が変革して行く社会を目の当たりにするのが楽しみです。

ビジレザPRESS-石坂産業 石坂典子氏インタビュー

⽯坂 典⼦(石坂産業 株式会社 代表取締役社長)
高校卒業後、米国への短期留学を経て、父親の創業した石坂産業に入社。2002年、代表取締役社長へ就任。「自然と美しく生きる」をコーポレートスローガンに掲げ、”産廃処理ビジネス”における一般的なイメージや概念を覆す改革を断行。見せる経営の実践は同業界に留まらず、多くの企業に注目を浴びている。

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